クリスタルメメント

詩を書きます。

視界の前座

呪いのうさぎが風解する。その降霊的な花氷からひとつずつ手折られる色のない色素の一部分へとふらつくまでの条件反射は捕まえた幼馴染の封印の日からやわらかく凍結されている。

椅子の爪時間を考慮して途切れずに鋳造される空間のあえて芸術を気取るまでもない神秘にかくれんぼしている夕暮れの天才には永遠に理解されないことを望まざるを得ないような孤独が健康な病として台頭してくる。

閉じかけた幕に念を込めて開く文明の乱れ打ちに当たって死んだこともある近隣住民からは颯爽とした当たり屋のエリートに民族衣装を何度も重ね着させる。

その運命の第四コーナーにおける母親の恥ずかしい応援によって墜落する未来が教会の入り口にあらかじめ刻印されていたことを誰も気に留めず本物などはない聖書の偽物にさえ虚無は繁茂している。

政治的仮装パーティーを聖なる無自覚の少女集団に乗っ取られて以降というもの、ゆめかわいい鎮魂のファッションショーとなってしまった感のある十二階の踊り場から見渡す世界は空気だけがミサイルの背景として存在していた。

最高度の歪みをもって存在しているぼくたちはこれを矯正することなく最高を更新し続けていくのだろう。しかし、或いはそれゆえに、何事もないことに身の危険を感じたら不安のプールサイドからもう一度旅に出るべきだ。ただし蜜になる仮設空間でエレベータのボタンは電卓になるから、虚数世界まで移動した先にある大きな桜の隠れ家ですこし安らいでくるのもいい。

不可能なものばかりが生きているベビーたちの心臓はやけに大人びていて、恍惚の灰の雪アニマははじめからそこに棲息していることがうかがわれる。何故と問うことは事実を否定するはじめてのモグラである。

自己愛でいることのできないすべてのいいかっこしいが地図のない関係性に迷い込み、そこに現れた森に消毒液をかける。

あの日、何度目かの夏を借りて、騙すことを嫌悪しながら騙される能力を高めている社会を見た。宗教的な「善い」が金銭的な「善い」に取って代わる。あれは危険のはじまりでした。後悔の嘘つきが五月雨のジョーカーをきる。濁音も浄化されていくみたいだ。

「あしただったはずの一日が目の前に現れてそこで見えるすべてがはじめてのはずなのに街並みと人間の化け物たちに抱く親近感を一定のパースペクティブで差別できるのは思い出の中にいるからだ」と証明できないあわれさを演技派の幽霊たちはきっと忘れているだけなのだ。

星は散り、人は死に損なって、少年愛は後輩と脳内の原始じみた電気信号を奪い合う。夕暮れのみなさん。それは人間ではないよ。見るものと見られるものの中心点に生きている我々は見たものすべてを夢と知りつつそれを信じないこともできる。それでも逃れることはできない夢の中の夢からシノニムと座標軸のカブトムシで監視カメラを監視する。その向こう側、その彼方を。