Crystalmemento

夜 / 骨壷 / 境界線

 

2024

名前のない花

2023

人体模型の粘膜

2022

アタラクシアの眩暈 / 瓶詰めの風景 / アンニュイの備考

2021

2020

2019

#009 / #008 / #007 / #006 / #005

2018

#004 / #003 / #002 / #001

2017

天国前夜 / / 夏風邪宇宙 / 症例102:自由の女神

2016

ガラス張りの彼女に / イラストレーション / 銀河泥棒 / 消火器の抱擁 / 霊園製図法 / 鴉と蟻のデザート / 二度目の春、九回目の死で咲くショータイム / 腰リボンの中央階段から / 風でめくる風景 / グラスに沈殿する小部屋 / 視界の前座 / 枝先の花嫁 / 置き去りにされた会話 / 氷ロザリオの融解 / 流れ星とクイーン / 聖者の葬列 / 純粋接触のオブジェ / 桜密室をひらく / 迷子願い / ねむりのちはれ / 放課後の宇宙で / 真夜中、皮膚の下から / 花序解体

2015

#000 / Lily

2014

other

悲鳴は密室で / 傘と包帯

名前のない花

ほとんどの人は気づかないけれど
静かに存在を表明している
小さな命です
なにか職業があるのなら
ぼくはこの花と同じ職業をやっています
それ以外には理由がありません
この花を通り過ぎるのならば
世界は永遠に見逃され続けるでしょう
誰かにとっての、
あるいは
すべてにとっての、
小さな命
名前のない花

人体模型の粘膜

夏が終わるとなぜかいつも母親の頭がポロリと落ちてしまいます。この身体が母親のものであったことを忘れないように名前を書きつけていたら、他のいくつもの名前が書かれたがっていて、すでに書いてしまった名前がまったく知らない誰かの名前のようにも見えてきました。母親は下からぼくを見上げるばかりでなぜか名前を教えてくれないので、口をこじ開けると舌がどこにもなくなっていました。前の前の前の前の前の母親が赤いランドセルを背負ってくすくす笑うのにつられて笑っていたら自分の舌を切り取っていました。箪笥の上で笑う小さい母親の粘膜が思い出のように膨張していくのを見ながら、これをくっつけたら名前を教えてくれるかなと思いました。

どうやらぼくは被害者のようでした。だれか頭のおかしい人がこの部屋で何かをしたらしくて、警察がその人を探しているみたいです。話すことのできないぼくを保護した知らない大人が教えてくれました。発見されたとき、部屋にはいびつな人体模型がいくつも積み重なっていて、そのすべてに母親の名前がびっしり書いてあったそうです。

ぼくはいま、新しい母親を眺めながらまた夏が終わるのを楽しみにしています。

アタラクシアの眩暈

死んだ花嫁が現れる夢の中に本当の自分を置いていくことにして、最後に見た血痕より紅い夕陽に染まる未来の放課後、微笑みかけるミューズの顔は内側から崩れて、彼女を拘束する時間と因果の魔に白く堕落してしまったが、ぼくは後ろを振り返らなければ生と死を免れることが決まっていた。それでもなにかの死の終わりに世界は分解されるのに、屋根に空を塗って、地図の上に赤い河が増水していくのを夕読みのように聞き流す。風景がひびわれていくことの、その裏側のアタラクシアが何の象徴だったかはずっと前から知っていた。ぼくが毎日留守にする短くない時間の中で世界は少しずつ修復されているはずなのに、それでも手付かずの憂鬱がなくならない。ああ、この世で最もきれいな花でさえ不幸だ。

瓶詰めの風景

存在の窓際に鳥がとまり、
動き出した時間に気づいた
緑色の胎児は這い出していき、
陽を浴び、影を憎み、
その先の腐爛へと
運命がひと回りした頃には
巨大な手が空中に現れ、
四季の糸を結び、
楕円形の接点は閉ざされる
すべては海に流れて、
殉教した手紙になった

アンニュイの備考

街をひとつ開いた。動き回る腕や脚の、すでにそこにはないことをあえて忘却するための休日が続いている。向こうでは恋人がぼくと歩いていて、それは遠くからでも分かった。鏡は鏡でなくてもよかった。それは入口であり出口でもあったと思う。すべがないのはだれでも同じで、有限性に阻まれているのはぼくだけではないけれど、彼らはそのことに無頓着だ。鏡の向こうへと続く道はどこにも見当たらない。真空がすべてを飲み込んで、曲解された風景をおびただしい空洞が充たしている。どれほどの痛みを欲しただろう。未来はいつから麻痺していたのか。鳥影が羽ばたいていったその航跡に季節の残影が伸びる。光のにわたずみが冷たく視界を横切ると、血はまるで祝祭のように海のポケットに吸い込まれていった。腐爛した真昼の憂鬱は現実以下の魔法で脳室に偽物の幻像を並べ立てる。意地悪な漠の腹痛の中で、ニ度と目覚めない夢の中で、最後まで残された問いをゆっくりとなぞる。灰色はなぜ灰色でないのか、それを解決しなくてはならない。

#009

二回大人になった彼は、理解可能な怪物になった。元々は向かいの家に住んでいた子供だったのだけど、両親が途中で入れ替わったことによって、理解可能になった。真四角の部屋の中で、部屋を丸くしろと怒鳴る彼の声をもうしばらく聞いていなくて、たまにすれ違うときにはいつまで経っても見慣れない青白い仮面を着けていて、おそらくもう顔から剥がれなくなっているような気がしてくる。それでもまだ笑うこともできるようだが、その笑いの持ち主はおそらく彼ではないのだろうと思われた。